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アメリカン・バスケットボール・アソシエーション(American Basketball Association, 略称:ABA)は、1967年から1976年までの間アメリカ合衆国に存在したプロバスケットボールリーグ。既に活動していたもう一つのリーグNBAとは選手や観客の獲得を巡るライバル的な存在であり、NBAと差別化を図るため様々な試みを実践し大衆にアピールしようとした。しかしリーグはやがて財政難に見舞われるようになり、最後には所属していた4チームがNBAに加入して9年間の歴史を終えた。ABAで導入されたスリーポイントシュートはのちにNBAばかりか国際ルールでも採用されたほか、オールスター戦でのダンクコンテストがNBAに受け継がれるなど、ABAは現代にもいくつかの遺産を残している。 2000年より北米で活動を行っている同名のリーグABAと直接のつながりはないが、いわゆるNBAの2軍ともいえる「独立リーグ(セミプロ)」として機能している。 == 歴史 == ABAが発足しようとしていた1967年には、NBAでは10チームがプレイしていた。この時期にはNBAのチームを持たない都市で地元の財界関係者の間からプロバスケットボールのチームを求める声が聞かれるようになっていた。しかしNBAに新しいチームが参加するには高額な加入金を支払う必要があったため、新たなリーグを作ろうという動きが起こり始めた。 こうして立ち上げられたABAのチームは、主としてNBAのチームがない都市を本拠に作られた。初代コミッショナーには、NBA創成期のスター選手ジョージ・マイカンが就任した。 当時のNBAは大学を卒業した者のみをドラフトの対象にしていたが、ABAはその制限を設けておらず,若く有望な選手をNBAより早く獲得することができた。一方で、両リーグは選手の奪い合いを行うこともあり、リック・バリーのように両リーグを行き来するスター選手もいた。 リーグが設立されて間もない1970年代初頭にはすでにABAとNBAは合併すべきという意見が言われるようになっていた。70年代が過ぎていくにつれ、ABAの参加チームの経営状況悪化が明らかになっていき、両リーグの合併は現実的なものになっていった。人気のあるチームの試合には1万人以上の観客が集まったが、中には200人程度の観客しか来ない試合もあった。 ABA最後のシーズンとなった1975-76シーズンには9つのチームがあったものの、シーズン途中でうち2チームが解散。残った7チームのうち、インディアナ・ペイサーズ、サンアントニオ・スパーズ、デンバー・ナゲッツ、ニューヨーク・ネッツはリーグ消滅と同時にNBAに新規加盟した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アメリカン・バスケットボール・アソシエーション (1967-1976年)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 American Basketball Association 」があります。 スポンサード リンク
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